バスは、朝8時にタナ・ラタの町を出た。
やはり避暑地だけあってかなり涼しかったが、これからまた灼熱地獄に突入だ。
しかし最初の何日かこそこの暑さに辟易して「こんな暑い国旅できるかボケッッ!!」とか言ってたが、いつの間にか慣れてしまっていた。むしろ暑ければ暑いほど「うおお~~!歩くぞぉぉぉ!!!」という気になるのだから不思議である。
バスは6時間ほど走り、昼の2時ごろバタワースの鉄道駅近くのバスターミナルに着いた。
そこから例によって1RMのフェリーに15分ほど乗っていると、懐かしのペナン島へ到着した。
タイからマレーシアへ入国して初めて訪れた町であるこのペナンに、マレー半島の先っぽであるシンガポールまで行って帰ってきたのだ。ただいま!
今まで避暑地に居たので、このジリジリと焼けるような暑さも気持ちよく感じる。やはりこうでなければ東南アジアを旅していると言えないだろう。
俺は思い出したかのように汗が体中から湧き出てくるのを心地良く感じながら、久しぶりのペナンの町を歩いた。1つの地域に多種多様な文化が詰め込まれていて、でも不思議に溶け合っているこの感じは、やはり全く変わっていなかった。
とりあえず適当な安宿のベッドを借りて荷物を置き、その日は早起きで眠かったので軽く町歩きをして洗濯、ネットカフェでメールやフェイスブックのチェック、そしてタイビザの申請をして早めに眠りについた。
翌朝は8時に起き、シャワーを浴びて外に出た。
キャメロンハイランドを出る時、フェイズに「明日ペナンへ行くよ」とメールを出しておいた。そして昨日返事がきた。「会いたいから電話してくれ」と。今日の予定は翌日のバンコク行きの鉄道チケットを購入することと、昨日申請しておいたタイビザを受け取ることだけだったので、昼頃電話してみようと思っていた。しかし、鉄道のチケットカウンターまでの道のりを歩いていると、エア・アジアのオフィスの前に鈴木アグリがいるな~と思って見ていたら、なんとそれがフェイズだったのだ。彼は自分で言うほど鈴木アグリに似ているので、一発でわかる。というか今このリンクを貼る時に鈴木アグリの顔を見て、やっぱ似てるわと思った。
「オー!リョウじゃないか!なんですぐ電話くれないんだよアホ!」
彼はずんずん近寄ってきていきなり俺の肩を小突き、ふくれっ面で不満をもらした。
「昨日からず~っと電話来るの待ってたんだよ……」
「そうなんだ、ごめんごめん」
この老け顔で女々しくされても若干気持ち悪いのだが、まあ待たせてしまっていたのでキモカワイイということにしておいてやろう。
「これから鉄道のチケットを買いに行くんだ」
すると彼は乗っていたバイクの後ろを指さし、言った。
「じゃあ乗ってきなよ!」
これは非常にありがたい。彼のケツに乗り鉄道にのチケットオフィスまで行き、翌日の昼12時出発のバンコク行きチケットを買った。途中フェイズにしつこく「明後日のチケットにして、明日も遊ぼうよ!」と言われたが、この旅が若干押し気味であることをなんとなく感じていたので、申し訳なくも断ってしまった。まあ今日で十分遊べばいいだろう。
チケットオフィスを出ると、フェイズは子供のように聞いてくる。
「さぁ、何して遊ぼうか!」
今日は1日中遊ぶ気マンマンらしい。
前回ペナンに来た時に行けなかった、「ペナンヒル」というペナン島が一望できる丘に行きたいと言うと、バイクでそこまで連れて行ってくれた。
しかしバイクで行けるのは丘のふもとまでで、そこから先は徒歩かケーブルカーで登らねばならず、その日はケーブルカーが運休だった。徒歩では片道2時間かかると言う。俺は3時間後にとあるホテルにタイビザを受け取りに行かなければならず、ペナンヒルへ行くのは不可能だった。
全くフェイズに責任は無いのに、彼は非常に申し訳なさそうに謝ってきた。代わりに、近くに大きくて立派な中国式の寺院があって、眺めも良いからそこへ行こう、と言ってくれた。
行ってみると、その寺院は山の頂上に作られており、大きく立派な寺院だった。眺めも良かった。なんと粗末な感想であろうか。自分自身驚きを隠せない。
展望スポットのような場所からの眺めを見て俺が満足そうにしていると、フェイズはさっきの分を挽回できたと思ったのか、とても嬉しそうだった。彼は非常に真面目で優しい好青年だった。いや~しかし暑いね~なんて話をしている時なんかは、
「日本も夏は暑いの?」
「暑いよ!湿気があるから馬鹿みたいにクソ暑いんだ」の「クソ暑い」の「クソ感」を出したくて、下唇を噛み思いっきりタメて「fーーーファッキンホット!」と言ったら
「ダメダメ!!ファッキンなんて言葉使っちゃダメ!日本人はポライトじゃなかったのかい?とにかくダメッ!!」
と怒られてしまった。彼の真面目さが見て取れる。
寺院のベンチでフェイズと喋り、みやげ物屋を物色し、昼食をとってから、タイビザを受け取りに行く時間が来たので、夜6時にまたエア・アジアのオフィス前で集合することを約束して一度解散した。フェイズは俺の宿まで送ってくれた。
無事ビザを受け取り、6時にまた彼と合流した。もう行く場所は決めているようだ。
「この近くに『ガーニー・ドライブ』っていうでっかい屋台街があるから、そこで夕食食いながら飲もうよ!」
地元民の集まる屋台街なら楽しそうだ。俺は言われるがままにフェイズのバイクのケツに乗り、その「ガーニー・ドライブ」に連れて行ってもらった。
行ってみると、確かに広い敷地にマレーシアやタイ、インド、中華風など様々な種類の屋台がひしめき合っていて、ここにくれば東南アジアの屋台飯は全て食べられるだろうと感じた。中央には海の家にありそうなプラスチックのテーブルと椅子があり、人々は屋台飯を買ってそこで飲み食いをしている。
暑く湿った空気の中人混みをかき分けて屋台街を進む感じは、さながら日本の縁日のようで、少し嬉しくなった。
俺たちはそこで、ソース焼きそばを東南アジア風にした「クイティオ」、マレー風焼き鳥の「サテ」、魚介ダシのラーメンのような「ラクサ」と、ビールを買った。フェイズは「運転があるから」と酒を一滴も飲まず、ずっとライチジュースを飲んでいた。俺だけ飲んでしまっていいのだろうかと思い最初は遠慮したが、フェイズは俺にどうしても酒を飲んで欲しいらしくしきりにビールを勧めてきた。しまいには「トイレに行く」と言って勝手に俺のビールをたくさん買ってきて、半ば強引に飲ませようとしてきた。そうまでされて飲まない訳にはいかないので、俺はフェイズに勧められるがままにビールを飲み続けた。
色々な話もした。フェイズはかなりの親日家で、日本に旅行した時の思い出や、日本人の友達の事を笑いながらたくさん話してくれた。
この屋台街には地元民、観光客と同時に物乞いもうようよ居て、彼らはあちこちの卓を転々としては悲しそうな目で寄付を乞う手を差し出していた。
俺はなんの考えもなしに、ただ手を差し出すだけの物乞いに寄付をするのは嫌だったので、俺らの卓に来た二人の物乞いには首を振り断った。断っても彼らはしばらくその場で立ち止まり、手を差し出し続ける。しかし俺たちは完全に無視し、まるで物乞いなんて最初から居なかったかのように他愛ない話をしていると、彼らはやがて諦めて他の卓へ行く。
辛いのは最初だけだ。当然意識してそういう振る舞いをしているのだが、東南アジアにしばらくいると、物乞いに対しいちいち感情を抱くことがいかに途方もないことか、そしていかに安易であるかが、じわじわとわかってくる。
もちろん今現在手を差し出してきているその一人に対して同情や寄付を与えることは簡単だ。しかし「物乞い」という存在そのものに対し同情や寄付を与えるのは、生涯をそれに捧げる決心をしたものでなければ不可能である。他に目的があったり、やるべきことがある旅人にとって、「物乞い」という存在はあまりに巨大であり、とても相手にできるものではない。
つまり、逃げるしかないのだ。なんだかんだ言っておいて、逃げるしか無い。そうでなければ、嘘だ。自分一人の旅なのだから、正当化する必要もない。俺はまだ、物乞いからは逃げるしか無い。
しかし、3人目に来た物乞いは、寄付された小銭を入れるコップの他に、どこからか拾ってきたのであろうボロボロのアコースティックギターを抱えていた。
俺はもちろん無視し続けるつもりだったのだが、やけに諦めが悪くいつまでも俺たちの卓に居続けたので、フェイズは買ってきたサテを一本渡した。俺もつられてたばこを一本コップの中に投げ入れた。
すると、突然物乞いはギターをかき鳴らし、下手糞な歌を歌い出した。ギターの音は弦をひっかくだけのスカスカな雑音、声もダミ声で呻くだけの耳障りなものであったので、俺は早く止めてどこかに行って欲しかった。特に深く考えずそう思った。
物乞いが歌い始めて間もなく、隣の卓に観光客が大量の屋台飯を抱えて座った。物乞いは歌を途中で切り上げ、その卓へ行き寄付を乞おうとした。
するとフェイズは突然物乞いの腕をつかんだ。
「待てよ」
物乞いは虚をつかれて驚いたまま固まっている。
「物をやったんだから、ちゃんと最後まで歌えよ」
フェイズはそれまでの優しい笑顔から一変した厳しい表情で、そう言った。彼にとって、そこは曲げてはならないところだったのだろう。
それは俺が初めて見る物乞いに対するアプローチの仕方で、すっかり彼に感心してしまった。
結局物乞いは、渋々、といった顔をしながらも耳障りな歌をワンコーラス歌い切り、他の卓へ去っていった。でもよかった。それで正しいと俺も感じたから。
俺は、ここ最近ずっと気になっていたことがあったのを思い出し、聞いてみた。
「ここら辺の若者は、意外なほど物乞いに対して寄付をしてるけど、それはどうしてなの?」
フェイズはしばらく考えて、こう言った。
「……それは……俺たちのソウルなんだ」
…………
フェイズさん、あんたかっけぇっす。ついてくっす。ソウルブラザーにしてくださいっす。