マレーシアの、ペナン島の、バトゥ・フェリンギという町で、陽気なデブに飲みに誘われた。
「一緒に飲むかいっ!」
旅に出てもう1ヶ月が経とうとしているものの、一人での食事は未だに寂しいと感じることが多い。俺はその席に混ぜてもらうことにした。
どうやらそのデブは、「ブッチャー」という名で親しまれるこの辺の名物おじさんのようだった。昼はビーチでマリンスポーツの勧誘をし、夜はその陽気な性格で旅行者や地元の人をつかまえては、毎晩飲んだくれているらしい。
一緒に飲んでいたのは、矢島さんという優しそうなおじいさんと、マリさん、ケンさんという札幌に住む夫婦だった。この夫婦は、毎年この辺に遊びに来てはブッチャーと飲んでいるらしく、とても親しげに冗談を言い合っていた。「おいブッチャー!新しいゲストのためにウイスキー買って来い!」「うるさいなあ……自分で行けよもう」
矢島さんは、世界中を飛び回ってアパレル関係の商売をしていた時のことを熱く、大きな身振り手振りで語ってくれた。熱くなりすぎたのか、当時のことを思い出したらしく自分で言って自分で泣きそうになっていた。
勧められるままにマレーシア産のウイスキーを飲みまくり、それぞれの生い立ちのこと、地元のこと、旅のことなどで盛り上がりながら、すっかり酔っ払ってしまった頃には、もう夜10時を過ぎていた。
マリさんに、「明日みんなでブッチャーおすすめの『フィッシュヘッドカレー』を食べにジョージタウンに行くんだけど、一緒に来ない?」と誘われ、酔っ払っていた俺は何も考えずに二つ返事で誘いを受けた。
あまり夜更かししてはご老体に響くということで、それでその日は解散となった。
フラつく足どりで宿に戻り、そのままベッドに倒れこんだ。そしてそのまま沈むように眠りに落ちていくはずだったのだが、何故か外で、かん高いお経のようなものをスピーカーから大音量で流すという謎の迷惑行為が朝まで続いていたので、全然寝付けなかった。グレた僧侶のささやかな反逆だろうか。夜中に民宿に向かってゲリラレディオとは、なかなか趣のある反逆である。
翌日は、朝10時に昨日の店でブッチャーがピックアップしてくれると言うので、8時半に起きて支度をし、完全に寝不足な目をこすりながら店に向かった。15分程遅れてブッチャーとバンが到着し、各地で昨日のみんなと、矢島さんの友達の、磯野さんというおじいさんを拾って、目的の店へと向かった。磯野さんは言った。
「バッカモォ~ン!!磯野じゃない!浅井だ!!」
そうだ!間違えた!このおじいさんは浅井さんという名だ。しかし顔が完全に漫画版磯野波平なので間違えるのも無理はない。
やがてフィッシュヘッドカレーの店に到着したが、肝心のフィッシュヘッドカレーの仕込みがまだだと言う。そこでブッチャーは急遽友人に連絡をとり、俺たち日本人にジョージタウンの案内をするよう頼んでくれた。
しばらくしてガイドの男がやってきて、ジョージタウンをぐるぐる廻って寺院や土産物屋などに案内してくれた。
途中、大通りに不思議なものを発見した。たくさんの花でわしゃわしゃと飾り付けられた大きなトラックの荷台に人がたくさん乗っており、そんなトラックが何台も並んでゆっくり走っていたのだ。荷台の人々は笑顔で見物人に手を振り、大音量で流れる音楽に合わせて歌を歌ったりしていた。わかりやすく言うならば、究極にチープなエレ○トリカルパレードである。
俺はガイドの男に尋ねた。
「これは何?なんかのお祭り?」
「葬式さ」
葬式!?葬式だと?これが葬式?じゃこの楽しそうに笑ってるのは遺族の方々?
しかしそう言われてみれば、よくよく見てみれば、なんとなく彼らは黒っぽい服を着てたし、音楽もちょいちょいマイナーな曲調だったりする。飾り付けられてる花の感じも、頑張れば間違えた霊柩車くらいには見えなくもない。
どちらかと言うと、エレクトリカルパレードというよりウェルカムトゥザブラックパレードであった。
その後、ブッチャー御用達の、酒屋の奥にひっそりと存在する隠れ居酒屋で軽く飲むことになった。ここの人々は宗教上、昼間から公に酒を飲めないということなので、その日仕事のない人たちはこういった隠れ居酒屋でひっそりと飲んでいるのだそうだ。
恐る恐る入ってみると、先客が居た。地元の老人が2人。俺たちは、この2人を入れて宴を開始した。
その様子は、まさに「宴」だった。72歳にもなるアナさんというおじいさんは、日本のことをよく知っていて、達者な日本語や昔の日本の童謡などを歌って皆を大いに沸かせていた。日本勢も負けじと、矢島さんがソーラン節を歌い、マリさんが踊りを披露した。こちらが「マレーシアの歌も聞かせてくれ」と言うと、アナさんはそれならばと酒場の奥で飲んでいた若い男性を引っ張り出した。彼は指と爪と掌底で机を巧みに叩き、見事なパーカッションを繰り広げながら、高らかにマレーシアの歌を歌いあげた。
最後にみんなで「SUKIYAKI」を大合唱した。みんな笑顔だった。歌が国境線を消していた。
宴がお開きになり、別れるときも、アナさんは本当に別れを惜しんでいる様だった。矢島さんとアナさんは、「必ずまた会いましょう」と固い握手を交わした。様々な壁を超えてきつく繋がれた、年季の入った二人の老人の手は、俺の目になんだかとてもたくましく、かっこよく見えた。
それから、俺たちは仕込みができたというフィッシュヘッドカレーの店に入った。
ブッチャーが、「ここでは手を使って食べるんだ」と教えてくれたので、俺は初めてカレーを手で食べた。最初のうちは、親指、人差し指、中指だけでちまちまと食べていたが、慣れてくると指が汚れるのが気にならなくなり、というか「汚れる」と思わなくなり、指全体を使ってがつがつ食えるようになった。これもなかなか楽しい。サラサラしたカレールーや、パサパサの米を指でかき集め、一口分を指のスプーンですくい、口に直接運ぶ感触というのは、まさに「食い物を喰らっている」という感じがして、なんだかとてもしっくりくる。日本に帰ったら、大好きなすた丼を指で喰らってみたいと思った。
俺の食いっぷりを見て、大人たちは俺が「食える奴」だと知ると、「頼もしいねえ!やっぱり若者はこうでなくちゃ!」と次々と俺の皿に、米やカレーやフィッシュヘッドを放りこんでくる。大食いを自負する俺にとって、負けられない戦いがそこにあった。
調子に乗った大人たちは「残したら俺の皿へ移せばいい」という謎の理論を開発したらしく、無計画に店にあるいくつもの種類のカレーを取っていった。米は無制限に出てくるようだ。大人たちが残したカレーを俺の皿に無言で移すようになってから10分ほどたった頃、店の米が尽きた。飲食店でバイトしてた頃つけられた「人間ダストパン」という異名は伊達ではない。
おわかりいただけただろうか。俺の通った後に、食べ物は残らない。