マレー鉄道でタイからマレーシアへ向けて南下し始めてから3時間が経過した。
いくつもの駅に停車したが、いつまでたっても誰も降りようとはしない。
さらに2時間が過ぎ、3時間が過ぎ、5時間が過ぎた。すでに辺りはすっかり夕闇に包まれ、窓から見えるのは線路脇の田んぼや木と闇だけだ。窓から吹き付けてくる風も冷たくなってきた。そして狭い。俺は発狂寸前だった。
隣のおばさんはずうずうしくも席の幅1.5のうち1を使い、脚を乗せてくつろぎ始めた。しかも背中で俺に寄りかかってきている。
普段ならボコボコにして窓から投げ捨てるレベルの仕打ちだが、ここにいることを許してもらっている身なのであまり強くは言えない。
俺は残された0.5しかないスペースを、少しの隙間に足を潜り込ませたり、思いっきり窓から身を乗り出したりして何とか工夫して過ごした。
そのままさらに3時間が過ぎた。
チュムポーンはまだかと列車の時刻表を見ていると、向かいに座った30代中盤くらいの男に、チュムポーンは次だと教えてもらった。
20分後、どこかの駅に着き、俺が
「チュムポーンに着いた?」と聞くと、
「まだだ。次の駅だ。」と言う。
さらに20分後、次の駅に着き、
「ここがチュムポーン?」と聞くと、
「次だ。」と言う。
これを計4回繰り返し、俺は駅の看板を自分の目で確認し、無事にチュムポーン駅で降りることができた。
結局チュムポーンに着いたのは夜中の3時だった。それからしばらく宿を探して歩いたが、入れてくれる安宿は中々見つからなかった。
3等列車の劣悪な環境での長旅でひたすらに疲れていたので、300Bの中級ホテルのような宿で妥協してチェックインしてしまった。
部屋に入ると、シャワーも浴びずそのまま死ぬように寝た。
翌朝は9時に起き、シャワーを浴びて近くの屋台で朝食をとった。
その後、辺りを歩いて手ごろな安宿を探したが、どこも気に入らなかったり高かったり満室だったりしてみつからなかったので、今のホテルにもう一泊してしまうことにした。
宿を探して町を歩いたが、この規模ならあと1日あれば回れてしまうように感じたので、まずチュムポーン駅に行き、マレーシアとの国境の町であるハジャイまでの2等列車のチケットを買ってしまった。
長距離での旅に、3等はもう使わん。使うものか。
朝からチュムポーンの次にどこへ行くかで迷いすぎて気が変になりそうだったが、ひとたびハジャイへ行くことが決定してしまうととても気持ちが楽になった。ハジャイの近くにソンクラーという海のある町がある。ソンクラーで泳ぐ!ということが今の俺の目標になった。
それから、チュムポーンの町をうろついた。
途中、公園を発見し、ブランコやシーソー、滑り台など色とりどりの遊具がたくさんあるのを見てテンションが上がり、吸い込まれるようにして公園へと入っていった。
公園の遊具を見てテンションが上がるなんて、まだまだ俺も子供なんだな、と少し嬉しくなり、ブランコで遊んでみることにした。
しかし、ブランコに腰掛けることはできなかった。ケツが入らない。
なんという事だッ!!子供心を爆発させてウキウキワクワクしながらブランコに向かっていったのに、子供心の象徴とも言えるブランコの方から拒絶されてしまったのだ。
ブランコは、キィキィと悲しげな音を上げ俺に語りかける。
「いけません。あなたはもう、ブランコなんかに興奮していい年ではないのです。さぁ、振り返らないで。真っ直ぐ前を見据えて、『大人』へ向かって歩いていきなさい。」
……そうだ。俺はもうブランコなんかに興奮してはいけないんだ。来年には就職活動も控えている。もう大人なんだ。
一体いつの間に、こんなところまで来てしまったんだろう。
俺は寂しさをこらえながら、とぼとぼとそのブランコを後にした……
……
……ら負けだ!!!
嫌だッ!!大人になんてなりたくないッ!!俺はずっと子供でいるんだ!!!体が大人になったって、社会人になったって、「バイタリティ溢れる、デキる子供」になればいいじゃないか!!
俺はブランコに無理矢理ケツをねじ込み、小学生のように手加減ナシで思いっきりブランコをこいだ。こぎ疲れるまでこいだ。
俺は負けなかった。
ブランコは風を切り、ギシギシと鈍い音を立てて大きく揺れ続けた。
勝利の風は、気持ちよかった。
一通りこぎ終えた俺は、一服してから勝ち誇った顔でその場を去っていった。
俺がその時、何と戦っていたのかは、今となってはもうわからない。その時の俺にしか、わからない。しかしその時俺は、確かに必死だった。
チュムポーンの町は小さいので、2時間も歩けば町の大体全てを回ることができた。
しかし、知らない町を歩くというのは楽しいものだ。
地図も見ずに適当に歩き、「今、信号が赤だから」とか「左に俺の好きな数字が見えたから」とか、そんなくだらない理由で適当に道を曲がる。そうやって町をくねくねと歩いているうちに、「あっここさっきも通った道だ!」とか「この通りはここにつながってたのか!」と、次第に頭の中の地図と実際の町並みがひとつになってゆく。
この感覚は、俺の冒険心と自己満足を満たしてくれるし、他では味わうことのできぬものだ。
町歩きは、楽しい。日本に帰ったら色んな町を歩いてみたくなった。
翌日は、朝6時の列車に乗らねばならないので、屋台で飯を食ってシャワーを浴び、早々に寝てしまうことにした。
この部屋はファンの風が直接体に当たるようにできているので、お腹を冷やしてしまったらしく、夜中に腹痛で目が覚めてしまった。
トイレに行こうと寝ぼけまなこで部屋の電気をつけると、何と目の前の、トイレの壁に「やつ」がいた。
立派な「やつ」だった。
一瞬で目が覚め、ダッシュしてベッドにヘッドスライディングした。
その後10分間、
腹痛い
↓
トイレ行きたい
↓
トイレの壁にやつが立ちふさがって行けない
↓
どげんかせんといけん
↓
恐る恐るトイレの前へ
↓
「やつ」を見つけ、ベッドにヘッドスライディング
↓
以下、無限ループ
を繰り返していた。
俺の人生で克服しなければならない3つの壁があるとしたら、間違いなくその最大の壁が「やつ」であろう。
俺は「やつ」にトラウマを抱えた両親の背中を見て育ち、自分自身も「やつ」に対する大きなトラウマをいくつも抱えている、真性のGアレルギーである。やべ、思い出しただけで発狂しそう……
ちなみに他の2つの壁は、「トマト」と「人見知り」だ。
腹がそろそろ限界に近づいてきた。
手持ちの装備品だけで、何とか「やつ」に対抗する手段を講じなければならない。
俺は以前、「やつ」を克服するためにネットで「やつ」の生態を調べまくったことがある。その結果、「やつ」に対する、最も効率的で、クリーンで、2次災害を最小限に抑える対処法は、「やつ」の体に直接洗剤をぶっかける、という方法であることを発見した。気持ち悪いので詳しくは省くが。
俺は部屋に備え付けてあるコップに、ペットボトルの飲み水を入れ、日本から持ってきた石鹸と部屋干しトップを溶かし、即席の殺虫剤を作り、思い切って「やつ」の体にぶっかけた。
見事に命中したが、「やつ」は飛びすさり、便器の近くの床に着地した。
効いていれば時間差で体がひっくり返るハズなのだが、いつまでたっても動かず、しかし触覚だけは元気ビンビンに動いている。
き……効いてねぇ……だと……?
俺はさっきの3倍の濃さの殺虫液を作り、再度勢いよくぶっかけた。
「3倍界王拳だーーー!!」
しかし「やつ」は
「何か……やったか?」という顔で平然としていた。
わかった。オラの負けだ。
俺はあきらめて外のトイレを使うことにした。完敗だった。
俺はホテルの従業員用の、タイ式の汚くて臭いトイレにこもり、悔し涙に一人震えていた。
トイレを出て、ロビーで
「『やつ』が出たんだけど、殺虫剤ある?」と聞くと、蚊用の殺虫剤を渡された。
いよいよ俺も潮時か……と一人打ちひしがれていると、背後からタイ人のおばあさんに話しかけられた。
「『やつ』が出たのかい?ちょっと部屋を見せてみな」
おばあさんは俺の部屋まで来てくれた。問題の場所を見せると、おばあさんは俺の手から蚊用の殺虫剤をもぎ取り、果敢に「やつ」に向かっていき、思いっきり蚊用の殺虫剤を吹きかけた。
しばらく吹きかけていたが、「やつ」は
「フン……それだけか?」という顔で微動だにしない。
「やつ」に蚊用の殺虫剤が効かないことをようやく理解したおばあさんは、何の躊躇も無しに「やつ」を履いていたサンダルで踏みつけた。
「やつ」は3度かわしたが、4度目にかわそうと避けた場所はおばあさんが4度目にフットスタンプを繰り出した場所だった。
「やつ」はぶっつぶれた。
おばあさんは「やつ」の死骸を水で流し、排水溝に落としてくれた。そして俺の方に振り返り、笑顔で、タイ語で何か言った。
何を言っているかはわからなかったが、なんとなく「私の戦闘力は53万です……ですが、もちろんフルパワーで戦う気はありませんからご心配なく……」と言っているような気がして、おばあさんに畏敬の念を抱いた。
とにかく、俺の世界に平穏が戻ってきた。
俺はおばあさんに何度もお礼を言い、おばあさんが部屋から出て行くと、どっと疲れが出てくるのを感じた。
もう4時半近くになっている。30分だけ寝ることにし、俺は今日という日を無事に迎えられることを神とおばあさんに感謝し、目を閉じた。