無事カンボジア入国を果たした俺は、タイとの国境の町であるポイペトで一緒に来た旅行者達と別れ、町まで行くという平谷くんと相乗りタクシーで宿泊予定のホテルまで行くことになった。
相乗りしたのは、ニューヨークから定年を迎えてはるばるカンボジアまでやってきたという老夫婦だった。小さな乗用車サイズのタクシーに運転手含めて5人乗っているので、車内はまたしてもギチギチだった。老婦人はここにくるまでの道のりも俺たちと同じようにきつかったのだろう、「ベリーコンフューズ……」とうんざりした顔でつぶやいていた。
運転手はポイペトからアンコールワットのあるシェムリアップという町まで、タクシーで約4時間程だと言う。また、何も無い道を延々と走り続ける旅が始まってしまった。
タクシーの運転は、タイ以上に荒かった。ボロい車が壊れてしまうんじゃないかというくらいに飛ばし、前方に何か物体を目撃したら、それが人でも犬でも車でも牛でも、とりあえず条件反射のようにクラクションを鳴らし、道を空けようとする。前を走る車に追いつくと、とりあえず、クラクションを鳴らし、対向車線に突っ込んで抜かすのは当然として、対向車線の先を見るために最初から道路の真ん中を走っているのだ。もはや車線に意味はない。
窓の外は、さっきにも増してすごい景色だった。両側とも地平線まで続く畑に、ヤシの木やマンゴーの木がちらほら、クリーム色の巨大な水牛がちらほら見える。上を見れば、超広大な、雲ひとつ無い青空が広がっており、見たことも無い鮮やかな色をした鳥がパタパタと飛んできては、水牛の背中にぴとっととまって休んでいる。水牛はそれを知ってか知らずか、気に留める様子も無くただのっそのっそと歩き続ける。限りなくのどかな風景だ。
前を見れば、道の先がすでに地平線になっていて、「地球を走っているんだな」という当たり前のようで不思議な実感が沸き起こってくる。
その雄大だが単調な景色をうとうとしかけながらしばらく眺め続けると、やがてポツポツと家が見えてきた。
家……?家なのかこれは?これに住んでいるのか?
俺が見たのは、ちょうど「3匹のこぶた」に出てくる「わらの家」と「木の家」を足して3で割ったような外見の小屋だった。家を作る用に切り上げられたまっすぐな丸太とは違い、いかにもその辺から拾ってきたようなごろごろした枝で骨組みを作り、スカスカになった間の部分をわらや細い枝で埋めている。申し訳ないが、俺でも作れるぞこれ。
これが現状だとすれば、テレビでみたようなカンボジアのイメージそのままじゃないか。
集落を一つ通り過ぎると、先ほどの小屋と同じ作りで少し大きくなったような家屋から、汚れて茶色くなったボロボロのシャツと短パンを着た子供たちがわらわらと飛び出してくるのが見えた。ここは学校で、ちょうど下校の時間なのだろうか。
集落、学校、そして小さな商店やさびれたホテルがチラホラと見えてきて、次第に町というものが形成されていった。
その様子を見て老夫婦は、ため息混じりに「なんて貧しい国なんだ……」と話していた。
ようやくシェムリアップの町中に入り、宿の予約がある俺を残して平谷くんと老夫婦は降りていった。
タクシーが予約したホテルに着くやいなや、明日から遺跡巡りに同行してくれるカンボジア人のスタッフが話しかけてきた。
「コンニチワ!一人デスカ?寂シイネーー!!」
やかましいわ!!
と言っても明日はクリスマス・イブである。そう言われても仕方がない。俺は日本でクリスマスに日本企業のクリスマス商戦に乗せられてしまうのは好きではないのだが、だからと言ってカンボジアで一人というのもどうかと思う。やっぱり少し寂しい。
女の子のスタッフに、部屋に通された。アンコールワットツアーで一番安いツアーを選んだので相部屋になるかもしれないと言われていたが、タイミングがよかったらしく2人部屋を1人で使えることになった。しかもバス、トイレ付きのテレビ付きだ。エアコンは無いが、いらないだろう。
もうすっかり夜だったが、寝る前に軽くシェムリアップという町を一周してみようと思った。旅行代理店の人にもらった地図を見る限り、町の中心部なら1時間あれば歩けそうだ。
結局2時間程町の中心部をぐるっと歩いたのだが、ぱっと見た感じだとこの町はアンコールワットに近いからと言ってかなり観光ずれしているようだった。町には英語や日本語があふれ、ホテルには必ずと言って良いほど「アンコール」という名前が付き、町のいたる所に両替所や外人向けのお土産屋さんや飲食店などがある。
物価は、バンコクの1,5倍くらいだ。通貨は、リエル。1ドルが4000リエルなので、大体40リエル1円と考えればいい。水が500mlで50円、たばこはなんと20本入りで1箱40円からあった。日本から持ってきた1カートンのピースも半分くらい無くなってしまったので、何個か買っておくことにした。
歩いた帰りに、コンビニで55円くらいのビールを買ってみた。クラウン・ドラフトビールというやつだ。飲んでみると、軽くて飲みやすくてまあまあの味だった。しかし、開けてから2分で炭酸が抜けきり、ただの苦い水になってしまった。とても飲めたものじゃなくなった。
また、この町は砂煙がすごい。町の主要な道路だけアスファルトで舗装されており、他の道は全て土の道だ。トゥクトゥクや車がモウモウと砂煙をあげて走るので、この町は常に砂でもやがかかっている。それが、なんとなくこの町に疲れたような印象を与える。観光客を誘うネオンや客引きも、町のカラ元気に見えてしまう。
宿に帰り、シャワーを浴びた。体を洗うのに備え付けの石鹸を使ったのだが、いくら流してもぬるぬるがとれないし、石鹸がくさい。水もくさい。タイではさほど気にしなかったが、この国では生水は気をつけたほうがよさそうだ。
翌日、6時に起き、宿の1階の食堂で朝ごはんを食べていた。メニューは、スクランブルエッグとトースト。朝食だけ無料で出るホテルなので、文句は言えない。まぁ大食いを自負する俺にはこの量なら食べないのとあまり変わらないのだが、一応儀式的に食べておくことにする。
食後のコーヒーを飲んでいると、暇そうにしていたホテルのスタッフが話しかけてきた。同年代のちゃらちゃらしてそうなカンボジア人である。
「おはよう。昨日は眠れた?」
「うん。よく眠れたよ。」
「今日はクリスマスイブだが、お前はチョメチョメ(ここ日本語)しないのか?」
だからやかましいわ!!!ここのスタッフはみんなやかましい!もう嫌だ!
だいたいチョメチョメってなんだよ。ニヤニヤしてるからそういうチョメチョメなんだろうけど……一応聞いてみよう。
「あの……チョメチョメってなに?」
「カトウタカ」
「カトウタカ……加藤鷹!!!?」
「お前はカトウタカを知っているか?あとチョコボール向井」
なんでお前がそんなこと知ッてんだよッ!!日本のAV男優の名前なんてカンボジアの観光ホテルスタッフに最もいらない知識だろそれ!!
驚きながらも平然を装う。ここでびっくりしてやったらナメられて相手の思うツボになってしまうかもしれない。ここはカンボジアだ。気を抜くな!ナメられたらアカン!!
「そりゃ知ってるよ」
「お前はオカモト持ってるか?」
もしや……
「オカモトって、コンドーム?」
「そうだ」
「まあ持ってるけど…………」
「くれ!1個くれ!!まじで!頼む!!まじでくれよ!!!!」
「…………日本にある」
「ナンデヤネン!!!!(日本語)」
突っ込まれたよオイ!!カンボジア人に関西弁で!!!
彼はさらに、血走った目で畳み掛けてきた。
「俺は今夜チョメチョメするんだ!だからオカモトが必要なんだよ!!頼むよ!!!」
知るかボケェーーーーーッッ!!!!!そんなこと客に頼むんじゃねぇッ!!
お前らフリーダムか?やりたい放題か?
カンボジアが貧しい理由が少しだけわかったような気がした。