アキと遊んだ翌日は、ひとりでだらだらして過ごした。
洗濯をしたり、両替をしたり、食事に出かけたり……
ガイドブック読んだりPSPしたり……
旅にPSP持って来ちゃった……。
いいよね別に?だって長旅って、暇との闘いなんでしょ?
昨日で疲れちゃったし、今日くらい休もうよ!ね?
ゲーマーであることに無駄に誇りを感じている俺は、寝る前に自分にそんな言い訳をしつつ、目を閉じたのであった。
ちなみにこの日は宿泊代含め800円くらいしか使わなかった。
さらに翌日。
昨日は早い時間からゆっくり寝たので、朝7時に起きた。昨日充電したバッテリー体力を今日使ってしまわねばもったいない。
とりあえず、一昨日アキによって阻止されたが、バスでファランポーン駅へ行き、列車の時刻表と料金表をもらった。
カンボジアからタイに帰ってきたら、少し列車の旅というのをしてみたかった。
アキの話によると、パタヤーの手前にチョンブリーという町があり、そちらの方が海がキレイで楽しいということだったので、列車の時間と料金を調べてみた。
朝7時ファランポーン駅発、チョンブリーには午前10時に着く。約3時間の旅だ。
料金はというと、なんと23B(65円くらい)。
やすっ!安すぎだろオイ!タクシーの初乗りより安いってどういう事やねん!!
まぁきっと、安さにはそれなりの理由があるのだろう。それはその時考えることにして、とりあえず駅の食堂で早めの昼食を食べた。
すると、急にウンコしたくなったので、当然のようにサイアムへ行った。
用を足し外に出ると、熱気、騒音、排気ガス、高層ビル群が俺を包み込んだ。
なんだか急に歩きたくなった。歩いてこその旅であろう。
俺は高架鉄道の線路に沿って、バンコクの主要な大通りであるスクンビット通りをひたすら歩き続けた。疲れたら、高架鉄道に乗って帰ってくればいいのだ。
暑さと空気の汚さに苦しめられながらも、ひたすらに歩いた。疲れたら公園で一休みしたり、露店で生絞りオレンジジュースを買って飲んだりしながら歩き続けた。
3時間程歩いたが、その間50人くらいの物乞いに声をかけられた。
「金くれよ」と。
俺はすっかり腹を立ててしまった。
道に座って、コップを持って、「オネガイ、オネガイ」と言っているだけで、金がもらえるとでも思うのだろうか。
ひどい奴は、となりのト○ロのカンタがサツキに傘を貸すシーンのように、
「んっ!」
と言ってコップを差し出してくるだけなのだ。金を与えるのが当然だ、という顔をして。
………
お前は馬鹿か?俺はまだ20歳だが、世の中がそんなに甘くない事くらい分かる。金を稼ぐのは大変なことだ。
金が欲しいなら、芸をしろ。金が無くてなにもできないのなら、踊ればいい。足が無くて踊れないのなら、何か作ればいい。手が無くて作れないのなら、歌えばいい。生きているのなら、何かしら方法はあるはずだ。
もっとも、そのような怠けた考えが物乞いを物乞いにしているのだろうが。
俺の想像を遥かに超える辛く厳しい事があって、ただ黙ってコップを差し出すことしかできないくらいに、それほどまでに無気力な人間になってしまったのだろうか。
というか、それで実際金は入っているのだろうか。生きていけるのだろうか。
知りたいとは思ったが、俺はこれ以上物乞いについて考えることはしなかった。
まだ旅は始まったばかりで、これからも何百人という物乞いに出会うだろう。その中で彼らに対する考えが生まれたり、それが変化していったりするかもしれない。俺にはただ、それが楽しみだった。
と、小僧が生意気に考えた。この時の俺は、タイに「職業路上生活者」といって、家があっても仕事として物乞いをやり、元締めから給料をもらうという職業があるのを知らなかった。
やがて、エカマイという駅についた。駅の近くに大きめなバスターミナルがあったので、入ってみた。バンコク近郊の都市にはバスで行くことも考えていたので、料金と時間が知りたかったのだ。
調べてみると、3等のバスでも列車の2~3倍の料金がかかることがわかったので、バンコク近郊には列車で行くことにした。
歩きつかれたので、バスターミナルのベンチで休憩することにする。
前方にテレビがあり、ベンチに座るみんなが熱心に見ていた。
どうやら、タイのドラマが放送されているようだった。言葉は全く分からないのだが、興味本位で見てみることにした。
しばらく見ていると、なんとなく内容がわかってくる。
日本で言えばドロドロの昼ドラといった感じで、修羅場に次ぐ修羅場、怒涛の修羅場ラッシュ、いや、シュラ・ハリケーンと言っても過言では無いほどの超展開で、見ていて面白かった。
そして、恐らく撮影しているカメラの性能とカメラワークのせいで、内容はドロドロの昼ドラなのにまるでドキュメンタリー映像のような質感なのだ。
バスを待つタイ人たちが真剣にドラマに見入る中、俺は一人で笑いをこらえていた。
バスターミナルを出ると、近くのバス停からファランポーン駅行きのバスが発車したのが見えたので、走って追いかけ、飛び乗った。俺も知らぬ間にこんなことができるようになったのかと思うと、少し嬉しくなった。
このままカオサンに帰ってもよかったのだが、少し時間を持て余していたので、この前あまり深くは見れなかったチャイナタウンにもう一度行ってみることにした。
まずこの前行った大通りに行ってみた。
ギラギラ光るネオンも、屋台や人ごみのムンムンとする熱気も、あまり感じられなかった。やはりチャイナタウンの本気は夜なのだろうか。
と思い道を一本外れて細い路地に入ってみた。
俺の想像は打ち砕かれた。チャイナタウンは本気だった。
狭い路地に様々な種類の小さな商店がギッシリと、本当にギッシリと詰まっていて、ひと2人ぶんの幅しかない道に、観光客や大きな荷物を抱えたタイ人たちが、もっとギッシリ詰まっているのである。そんな路地が、大通りの周辺に碁盤の目のように張り巡らされているのだ。
俺はなんだかその異様なまでの熱気に興奮してしまい、その商店と観光客とタイ人が作り上げるモッシュピットに、用も無いのに突っ込んだ!
突入すると、まさに押し合いへし合いで、思うように進めない。一見無秩序にウネウネとうごめくだけに見える人ごみでも、一応流れというものがあり、その流れにもただ流されていくことしかできない。流れに反するのなら、曲がりたい角も曲がれないのだ。
それでも彼らは目的を持って動いていた。
すげー!すげー!と半ば盲目的な感情に支配されながらも押し流されまいと踏ん張っていても、どこからかただでさえ狭い道幅いっぱいの滑車に荷物をパンパンに載せた商人が通り、
「あけてー!道をあけてーーッッ!!」と叫ぶと、道行く人々は近くの商店に仕方なく入ったり、路地に並ぶ商品の隙間に無理矢理体をねじ込ませたりしてなんとか道を作ってやる。
そんなことの繰り返しで、右も左もわからなくなりながらもみくちゃにされ、モッシュピットを「っぷはぁっ!!」と抜けると、そこにはアイスやジュースの売り子が居て、軽く買い食いして一休みすると、また懲りずにもう一度モッシュピットに突入していくのだ。
タイ人とのモッシュはなかなかスリリングで楽しかったが、さすがに何度も繰り返すと疲れてくる。
今日は夜の6時にカオサンの旅行代理店でカンボジアのビザを受けとる予定があったので、そろそろ帰ることにした。
カオサンへ帰り、軽く汗を流しビザを受け取ると、腹が減ってきたので、いつもの屋台でいつものパッタイを食べることにした。
カオサンのパッタイはほとんど食べたつもりだが、ここのオバチャンが作るパッタイが一番うまいのだ。
いつも無表情で黙々と作業をこなすオバチャンだが、明日カオサンを発ちカンボジアへ向かうので、今日くらい笑顔が見たい。
笑顔が苦手な俺だが、精一杯笑って
「ハロー、オバチャン!パッタイくれよ!!」
と言うと、…………
やはりオバチャンは無表情で作業を開始した。残念だ。
この屋台には、パッタイの材料の他に、すでに揚げられており、頼まれたら温めて出すだけ、という春巻きが、100個ほど60センチくらい積み上げられていた。
俺がパッタイの代金30Bを財布から出そうとしていると、突然その春巻きタワーがドサドサッ!!と地面に崩れ落ちた。
俺は触れていないのに。見ると、そのタワーを支えている竹の棒が、タワー自身の重みに耐え切れず折れてしまっていた。
しかしこの状況、作業に集中しているオバチャンから見たら俺が引っ掛けて落としてしまったようにも見えただろう。
にも関わらず、オバチャンは
「あー落ちちゃったねぇ」という感じで淡々と落ちた春巻きを拾い始めた。
俺も手伝った。
お礼なんて言われなかった。
しかし、渡されたパッタイを見て驚いた。これまでの2倍くらいの麺、3倍くらいの肉が入ったドカ盛りパッタイがそこにあった。
落ちた春巻きのことを責めようともせず、むしろサービスしてくれたオバチャンの心意気が素直に嬉しく思い、笑顔で
「ありがとう!」
というと、オバチャンは無言で、しかし照れたような微笑みで
「うん」
と頷いてくれたのだ。俺は幸せな気持ちになった。
ベッドにもぐり、オバチャンがくれた小さな幸せがやわらかく俺を包み込み、優しく深い眠りのなかにゆっくりと吸い込まれていくはずだったのだが、なかなか寝付けなかった。
遠足の前日の小学生のように、明日からのカンボジア旅行が楽しみで仕方が無く、興奮してしまっているのかもしれない。
小学生の時は明日の遠足に興奮して眠れないのだが、今は明日のカンボジアに興奮しているのだ。
大きくなったな、俺……